はじめまして。シカゴ留学サポートの小松です。
私は、18歳の高校を卒業したのちに、アメリカの大学に進学するために渡米しました。
最終的に、留学先として選択したのが東海岸のボストンでした。私は、コミュニティカレッジから州立大学へ編入して、約5年間の充実したアメリカ生活を送ることができました。
ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨークなどアメリカには沢山の魅力的な町があります。しかし、私が留学先の最終的候補に選んだのがシカゴとボストンだったのです。
私は、渡米当初は、ミズーリ州のセントルイスという中西部の田舎町のメリービルカレッジという大学付属の語学学校へ通学していました。夏休みにオンザロードプログラムというサマープログラムで、ワゴン車に乗って先生やクラスメイト達と小麦畑を超えて、大都会シカゴまで移動しました。
大草原を車で走っていると、突然、シカゴの摩天楼が姿を現します。大都会というと、普通、西海岸や東海岸の海に面した都市が一般的です。しかし、コーン畑を走っていると突如270万人を超える大都市が現れた時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。
ブラジル人、メキシコ人、タイ人、中国人、色々な国からの留学生達と一緒にシカゴの町を歩き回りました。高層ビルの谷間には、ピカソやシャガールの野外のアートモニュメントがありました。
そして、私達のグループは、ダウンタウンからミシガン湖畔に移動する途中に、道に迷ってしまいました。ストリートでアメリカ人の黒人のおばさんに道を尋ねました。そしたら、すごく丁寧に、途中までついて来てくれました。
日本でも、見知らぬ外国人に対して、そんなにフレンドリーに接してくれる人は少ないのではないでしょうか?大都会にあって、このフレンドリーな空気が私はとても、気に入りました。
いつか、また、戻ってきたいと思って、24年ぶりにシカゴの町に、私は戻ってきました。そして、シカゴの語学学校のスタッフ、宿泊先のホームステイファミリー、町中の人達、すべて、私がかつてシカゴを訪問した時に感じた温かさ、そのものでした。
●日本では留学先としてマイナーなシカゴを紹介したい!
日本人にとって、留学先として人気なのが西海岸のロサンゼルスやサンフランシスコ、そして東海岸のニューヨークやボストンです。
しかし、この中西部の町、シカゴのイメージがパッと浮かんでくる方がどれだけいるでしょうか?
きっと、ごくわずかだと思います。
多くの海外留学を希望する日本人は、「英語が苦手なので、海外に留学して英語ができるようになりたい!」と口にします。
しかし、多くの人が留学先として選ぶのは、日本人が多く留学して、語学学校のクラスの日本人比率が高いところに留学します。その様な環境で、本当に英語は、十分に伸びるでしょうか?
私は、正直、疑問です。シカゴの語学学校には、低い比率の日本人しか、現段階ではいません。2016年3月の統計では、シカゴで人気の語学学校のStafford Houseでは日本人は3%です。他の97%は、南米、中東、ヨーロッパ、アジアの色々な国からの留学生です!
あなたは、日本人が30%のクラスルームと3%のクラスルームでは、どちらが英語が伸びると思いますか?
ぜひ、シカゴで日本では味わえない素晴らしい体験をされてみてください!
シカゴ留学サポート
代表 小松志行
経歴
1975年 | 愛知県岡崎市に生れ ※アメリカへの留学まで海外経験なし |
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1994年 | 高校時代に、アルバイトで留学資金の一部を貯める。 当時、TOEFLのスコアは、320点(英検4級レベル)だた 渡米直前のTOEFLスコアは英検4級レベル |
1995年 | 当初、ミズーリ州の大学付属の語学学校に通う。 夏休みにクラスメイト達とシカゴ旅行をする。 その後に、ボストンの大学へ進学。 |
1997年 | University of Massachusetts Boston (マサチューセッツ州立大学ボストン校)へ編入。社会学を専攻 |
1998年 | 全米の優秀学生のGolden Key Honor Societyのメンバーに選出 |
1999年 | University of Massachusetts Boston (マサチューセッツ州立大学ボストン校)の社会学部を学部代表として卒業
大学の卒業式 |
1999~ 2008年 |
日系メーカーの海外営業職等を経験。アメリカやヨーロッパ市場の医療器部材の開拓を経験。グローバル人材の必要性を感じ、今まで勤めていた会社を退職。
ドイツの医療関係の展示会にて |
2009年~ | 日本初のボストン専門の留学サポート事業を開始 |
2017年~ | 日本初のシカゴ専門の留学サポート事業を開始 |